高楽寺は、正しくは獨峰山高楽寺といい、真言宗智山派智積院に所属しています。

高尾駅南口から徒歩約7分の距離にあり、同派の大本山高尾山薬王院とは特別深い関係がある直末寺院の一つです。

開創はつまびらかではありませんが、寺に残る文書では、天文二年(一五三三年)、高尾山薬王院の法印(最高位の僧侶の称号)観應和上の手によります。

高楽寺の前身は、伝えでは天元二年(九七九年)にさかのぼります。

この当時、武蔵の多摩丘陵(八王子)あたりは、横山党といわれる武士集団が全国的に知られた牧場の経営をしていた頃であり、その有力な一人である椚田次郎が椚田の土地に居城を築きました。
その峰山つづきの平坦な土地は峰開戸といいますが、そこに椚田次郎の手で御堂が建立されました。
「萬民豊楽」の祈願をこめての創建ですが、それが高楽寺の先駆けというのです。

高楽寺のその後については、文書もなく、はっきりしませんが、江戸時代中期には、地域の人々の信仰を集めていたことはわかっています。

それから長い間、残念ながら高楽寺は御堂も荒れ、無住の時代が続きます。
昭和の時代に入り、中興第一世住職平田清澄和上が昭和三十九年に本堂、昭和四十一年庫裡を再建し、近世の礎をつくりました。

この間、大本山高尾山薬王院のご貫首が住職を兼ねる時期もありましたが、現在は中興第五世・佐藤秀仁住職が壇信徒とともに、高楽寺の五〇〇年近くに及ぶ法灯を守り続けています。

高楽寺の御本尊様

高楽寺の御本尊は大日大聖不動明王であります。

不動明王は大日如来がこの世につかわした尊い御仏のひとつです。
仏敵を取り除き、修行者を守って修行を達成させると共に、この世で苦しみ、悩んでいる人々を救うと信じられています。

真言宗智山派

平安時代初期、弘法大師・空海によって開かれた真言宗は、御本尊・大日如来の教え「無言の真理(仏さま自身の真実の言葉)」を宗旨とする宗派です。

その特徴は、いま生きている間に修行すれば、そのままで仏になることができる、「即身成仏」にあります。

「大日経」と「金剛頂経」の二つを根本経典としています。
現在、真言宗は高野山の流れをくむ古義真言宗と、根来寺の流れをくむ新義真言宗の二つに分かれますが、智山派は新義真言宗につながり、京都東山七条の智積院が総本山となります。